【日本帰任】フィリピンでの駐在生活4年間を振り返って

職業柄、転勤はつきもので、かつ辞令が出るのも大体1~2ヶ月前くらいなので、今回の日本帰任がいつもと比べて特別なものではないのですが、全く予想していませんでした。

お盆明けから約4年ぶりに日本の本社に戻って働く事になりました。

ちょうどこの記事のちょっと前の記事で、日本に帰ったらiDeCoやアメリカ株をやりたいな~って書いてたので、薄気味悪いくらいですw

あっという間の4年間でしたが、備忘録も兼ねてフィリピンでの生活を振り返ってみました。

 

初めての外国人彼女

振り返ってみて最初に思い浮かぶのは仕事の事じゃなくて、やっぱりこの事ですw

フィリピンに来る前の30年間は、当然日本人の女性としかお付き合いした事がなかったので、フィリピンで付き合ったフィリピン人女性が初めての外国人彼女でした。

ちなみにカラオケなどの水商売系ではなく、普通の素人女性ですw

自分がお付き合いさせて頂いた女性は、典型的なフィリピン人女性とは違い「どこにいるの?」、「何してるの?」、「何時に帰ってくるの?」等のテキスト攻撃はほとんどなく、ある意味放任主義的な子だったので、付き合ってて気疲れする事はありませんでした。

実家にも何度かお邪魔して両親とも食事をさせてもらいましたが、小綺麗な大きな家で、メイドもいて、両親も外資系企業で働くいわゆるフィリピンの中上流階級でした。

当然彼女から「お金貸して」なんて言われた事は一度もありません。

顔面レベルは人それぞれ興味があるので何とも言えないですが、自分の中では今までの日本人彼女と比べても可愛い方だと思いますし、好きっていう感情をストレートに伝えてくる事や、ボディタッチが積極的な事など、なんだか中学生~高校生の時に戻ったような新鮮な感じでしたw

そして日本語でコミュニケーションがしたい!という事で、自分で月謝を払って日本語教室に通い出すくらい向上心が高い子でした。

自分より7つも歳下(付き合った当時24歳)なのに本当シッカリしてましたね。

大学もフィリピン人なら誰もが知っている有名大学卒で、自分で不動産投資とかもしてたので、地頭は自分なんかより全然良かったと思います。

世間一般で聞くフィリピン人像とはいい意味で違った彼女だったので、この向上心には刺激を受けました。

じゃあ何で別れたんだよ?って思うじゃないですか。

これは自分の度量の小ささゆえなのかもしれませんが、、、、

とにかく一切掃除をしない一切料理をしない一切野菜を食べないの3点セットが1年間付き合っているとジャブの如く徐々に効いてきたんですね。。

同棲していたという事もあって、いつだったか「たまには掃除くらい手伝ってくれよ~」的な事を強めに言ったら「私は掃除する為に生まれてきたんじゃない!」って結構な真顔で言い返された時はマジかこいつ!!ってなりましたねw

当然料理も一切出来ないし、覚えようとする気も無し。

フィリピン人は日本人と比べると元々野菜をすき好んで食べないんですが、彼女は徹底した野菜嫌いで、一緒にレストランに行った時とかもサラダや野菜系料理には一切手を付けませんでした。

刺身やみそ汁といった日本人には欠かせないザ・日本食もダメで、基本的には肉、白飯、お菓子こればっかりでしたw

まぁ野菜を一切食べないっていう点はそこまで大きな問題じゃないですが、一切料理・掃除をしないっていう点は、結婚は無理だなって考えるのに十分な説得力がありました。

毎日掃除や料理を要求しているのではなく、たまには俺の代わりにやってもらえない?っていうレベルでもダメでした。

小さい頃から自分のそばには常にメイドさんがいて、そのメイドさんが料理から掃除、身の回りの事を何でもやってくれる環境で育ってしまったのも原因かもしれません。

この不満が徐々に徐々に溜まってきてしまい、最後には自分からお別れを告げるに至りました…

ずっとフィリピンで暮らすのであればメイドを雇えば何とかなる問題なのかもしれませんが、自分としてはフィリピンに永住する気はサラサラなく、日本での生活を考えていたので、家事を一切しないというのは受け入れられなかったんですね。

こうして初の外国人彼女とのお付き合いは幕を閉じたのですが、外国人だろうが日本人だろうが、掃除・料理を一切やらない女性は自分には無理なんだなぁっていう事を再認識しましたw

あとはやっぱり食文化が全然合わなかったのも辛かったですね。

綺麗事は抜きにして、やっぱり自分は日本人が良いなぁ、というのが現状です。

もう35歳のオッサンには選んでる余裕も権利も無い!っていうのは自覚しているつもりなので、日本に帰任後は身の丈にあった女性に積極的にアタックしていこうと思いますw

 

常に専用の運転手と車移動

日本帰任が決まって、ちょっと不安になっているのが満員電車通勤です。

フィリピンのほとんどの日系企業駐在員には車と専用ドライバーが与えられているので、会社に行くのも会食にいくにもいつも車移動です。

マニラの渋滞は酷いものですが、日本の朝夕晩の満員電車に比べれば天国で、クーラーの効いた車内で快適な移動が出来ます。

4年間ガッツリこのVIP待遇に慣れきってしまっているので、果たして日本の超満員電車に毎日耐えられるのか今から心配です。。

今振り返ってみても、駐在員一人に車とドライバーが与えられてる生活って、フィリピンの治安、インフラの問題はあるにしろ、他の国じゃ考えられない贅沢ですよね。

 

フィリピンの明るい職場環境

これはうちの日本本社や支社が少し異常なのかもしれませんが、常にピリピリした空気で、冗談の一つも言えないような環境で仕事してきたなかで、フィリピン現地法人での職場環境は全く違ったものでした。

決して仕事を舐めてるとか、フザケてやってるというわけではなく、なんて言うかみんな楽しそうに仕事してるんですよね。

何かにつけて言い訳してきたり、素直に謝らなかったり、時間にルーズなところはよくイライラさせられてきましたが、何事にも楽しそうに取り組む姿勢、笑顔が絶えない職場は日本のそれと比べると全く違うものでした。

お菓子食べながら仕事しているのは当たり前だし、三時のおやつも欠かさないし、コピーしながら鼻声歌ってるのも日常風景w

みんな本当楽しそうに仕事しているので、朝会社行くのが憂鬱に感じる事は日本と比べ断然減りました。

同じ日本人駐在者の良識ある上司に恵まれたという事もありますが、フィリピンに来て職場の雰囲気って大事だなぁと今更ながら痛感しました。

自分はどっちかというと少しスカしているところがあるので、赴任当初はどうしていつも気難しい顔しているの?、そんなにお客さんとトラブっているの?って真顔で質問された事ありますw

特にトラブルを抱えていたわけではなく素の自分を出して仕事していただけだったので、この一言は自分的には結構ショックな出来事でした。

日本にいた時は多分みんな自分のような気難しい顔しながら仕事しているので、誰からもそんな事言われた事なかったですからね。

入社10数年を経過して初めて、出来るだけ明るく笑顔で仕事しようと心がけるようになるとは、フィリピンに来なければ気づかなかった事だったかもしれません。

 

人生初の結膜炎、食中毒に罹った事

日本で暮らした約30年間で一度も結膜炎にも食中毒にも罹った事はなかったのですが、フィリピンに来て見事に両方とも経験しましたw

結膜炎は突然ある日、目の中の異物感から始まりました。

始めはゴミが入った位の感じだったので、そのうち治るだろと安易に考えていたのですが、翌朝起きて鏡で見てみたら、映画で出てくるゾンビ張りに目が真っ赤に充血していて、慌ててマニラの総合病院に駆け込みました。。

診断結果はよくある結膜炎との事で、抗生物質入りの目薬を1週間ほどさして治ったんですが、フィリピンでは結膜炎になったら絶対に出社してはダメとの事で、1週間ほど自宅待機で仕事をしたのは今でも覚えています。

まぁ感染症なので当然っちゃ当然ですが、日本だったら結膜炎ごときで休むな!って言われそうなんで、これは自分的には意外でした。

そして、フィリピンに来て肉体的に一番キツかったのは、これも人生初の食中毒になった事です。

原因はおそらく、前夜に焼酎にいれた氷か、生野菜のどちらかだと思うのですが、とにかく39度以上の高熱と、止まらない下痢と嘔吐で本当に死ぬんじゃないかって思う位の地獄を体験しました。。。

汚い話ですが、水下痢がかつて見た事もないような緑がかった色だったのを見た時の衝撃は、いまでも忘れられませんw

病名はアメーバ赤痢と言う名称で、今でも世界ではこの病気で死人がでているようなヤバい食中毒に罹ってました。。

処方された薬もめちゃくちゃ強力で、約1週間は何も出来ない状況で寝たっきりでした。

まだ自分は処方された薬ですぐに回復しましたが、知り合いの駐在員は原因不明の体調不良が長期間続き、結局フィリピンの病院では原因がつかめず、日本に帰国した方もいました。

フィリピンの医療レベルを日本と比べると、とても安心できる水準には達しておらず、マニラ首都圏にあるいくつかの総合病院以外では、精密検査なんて受けられたもんじゃありません。

結膜炎も食中毒も今となっては笑い話ですが、衛生面含め、現在のフィリピンの医療レベルでは、安心して長期駐在できるとは言えないと感じてます。

 

やっぱり自分には日本食が欠かせなかった事

これはフィリピン赴任1年目くらいの時は、そこまで感じる事ではありませんでした。

フィリピン料理はお世辞にも好きとは言えなかったですが、平日は日本食以外のフィリピン飯や中華、洋食、ファーストフードも良く食べていて日本食への飢えもそこまで感じませんでした。

しかし、フィリピンに慣れてきた2年目以降は、1年目とはうってかわって日本食ばかり食べるようになっていました。

みそ汁や野菜炒め、刺身、ラーメン等、1日1食は必ず日本食を食べるようになり、みそ汁なんかは味噌や豆腐、わかめを日本食材店で割高で買ってきて、毎朝自分で作って食べてましたw

日本食を毎日食べるようになってからは、フィリピン料理は敬遠するようになり、完全に日本食メインになった結果、食費は日本にいた時よりも多くかかっていたと思います。

日本からの短期海外出張時や、大学の頃によく行った海外旅行では気づかなかったですが、フィリピンに長期駐在した結果、自分は日本食抜きの生活は無理だなって認識しました。

 

以上、4年間のフィリピン駐在の振り返り備忘録でした。

まだまだ思い返せば沢山出てくるんですが、やっぱり海外での生活は実際にその国に暮らしてみないと分からないんですよね。

フィリピンで過ごした4年間で、日本の良い点・悪い点が客観的に見れた事、海外での異文化生活がどのようなものか体験できたのは代えがたい経験になりました。

今は4年間のフィリピン生活で浦島太郎になってしまった自分が、うまく日本の生活に適応していけるのかちょっと心配ですw

日本に帰ってもフィリピン現地法人との仕事上のやり取りは続くので、またフィリピンの事で面白い記事があればブログに書こうと思います。

 

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